雄武町民が日頃から楽しむ”焼床”って何か知っていますか?

みなさんこんにちは。

オホタ編集長の佐久間茜華です。

 

 

 

実はわたし、生まれは雄武町。

沖縄県より少し大きく、兵庫県より少し小さいサイズ感で、紋別市、興部町を過ぎると見えてくる。1年を通した平均気温が日本一寒いと言われるオホーツク最北に位置するまちです。

 

雄武町の基幹産業は酪農や林業、そして漁業。雄武町沿岸ではホタテやカニ、サケが獲れます。

そんな雄武町では、雪が溶けると一声を合図にいい香りが漂います。

 

「今日は焼床しようよ!」

 

なにやら大きな台で炭を起こし、焼き始めます。

 

 

鉄板の上をよ〜〜〜くみてください。

お肉やもやしと一緒に焼いているのは、昭和9年から続くオホーツク産蒲鉾の名店「出塚食品」産の蒲鉾、そして、昨日獲れたという新鮮過ぎる生のホタテ。

 

なんて贅沢なんでしょう!

この日はあいにくの曇り、今にも雨が降り出しそうな天気でしたが、暖かい炭火と、美味しい食事に、みなさん笑顔が絶えません。

 

 

 

ん?

あれ?

 

これって、外焼肉、バーベキューじゃないか!!!

焼床はいつ出てくるの!!?

 

 

ということで

焼床をよく知る人に会いに行ってきました。

三浦 寿太郎さんです。

今から50年以上も前のこと、雄武町沿岸では漁が盛んに行われていました。

獲れた魚や貝類はいつでも満足に手に入っていた頃。仕事が終わったら七輪を囲み、獲れたての魚や貝類を食べる毎日でした。

 

その行事もだんだんと参加者が増え、1つの七輪だけでは全員分まかなうことができなくなりました。

そんなとき、1回きりの出番出会った船の油が入っていた ”ドラム缶” を何かに利活用できないかと、三浦さんのお友達である中井鉄工場の中井康樹さんが、ドラム缶を半分に切り、足をつけ大きな焼き台を作りました。(写真:中井鉄工所の中井康樹さん)

▲元となるドラム缶

“焼く” ”場所” である鉄工所で作られた焼き台のことを「焼床(やきどこ)」と言い、広くその焼床を使って食事をする行為をも「焼床」と言い始めました。

このドラム缶で作った焼き台は、大人数の時、火が早く起きるため重宝されたそうです。この焼き台を作った頃は週1回休むか休まないかの頻度で「焼床」をしていたんだとか・・・(笑)

 

”焼床の定義は「焼床を使って食べる海鮮バーベキュー」”

雄武町は浜町のため、貝やカニ、鮭やタコなどが満足なほど獲れましたが、今となっては町民でさえ少しばかり高価な食べ物になってしまいました。そのため、海鮮だけのバーベキューから、現代のスタイルである お肉や野菜を使った焼床へと変化していったようです。

 

今もここに、
海鮮を使った焼床の歴史は雄武町に残っていました。

午前中に雄武町のラ・ルーナという場所で焼床を終えた後、三浦さんと中井さんを訪ねました。そこで中井さんから驚きの言葉が。

「今から焼床しないかい?」

 

「今食べてきました・・・・(笑)」

 

焼床でいっぱいの体を起こして行ってみると、そこは大きな水産会社。毛蟹やたらばの活製・加工品、ホタテやサケ、めじかの製品化、販売を行う畠森水産 雄武工場。 

向かいにある別の建物に案内され、

中に入ると・・・

 

煙もくもく、美味しい香りが充満する中、大勢の人が何かを囲んでいました。

 

 

それはもちろん、

焼床!!!

 

そして焼床の上に乗っているのはまさに・・・

 

海鮮だ!!!!!!

お肉もありますが、ズワイガニにタラバガニ、ホタテやサクラマス・・・贅沢なほどに海鮮盛りだくさんの焼床です。

焼床の定義、焼床が始まった時の「海鮮」バーベキューのなごりが、ここ畠森水産には残っていました。

 

 

大人数で楽しく囲む焼床、次世代につなぎたい雄武の宝です。

▲畠森水産株式会社 代表取締役 白川龍考さん

白川さんは1年に2回ほど社員さんと焼床をして、雄武町の食文化を今につないでいます。

 

 

また食べたい、またその土地へ行きたいと思わせるオホーツクの食文化、オホタで伝えます。

それでは、また。